”見たぞ!”幻想のオーロラツアー ('00.1.4〜10) | ||
【はじめに】
資料によると昨年10/18の美瑛天文サークル役員会の時でした。 今年の作品展についての会議が終わり、懇親の中で加藤氏から”来年のはじめ、カナダでのオーロラツアーがあるので参加しないか・・・”という話が出ました。 退職してやや暇な日々を送っており、大きな旅行も10月の「中国旅行」のみでしたので『美瑛天文サークル』としても意義のあることであると思い参加を申し込みました。 その後、主としてパソコン通信や電話により連絡を取り、打ち合わせ会を行い、1名の経験者が居ましたのでその意見を参考にして準備しました。 しかし、 @何と言ってもマイナス40℃以下になるという気温に耐えられるか A天体写真を行ったことがほとんど無いのに写せるかどうか Gフイルムも凍ると言われる状況下でのカメラの暖房をどうするか Cオーロラは実際に写すことが出来るのだろうか D何と言っても本当にオーロラは見られるのだろうか Eカナダに行くのだからスキーにも行きたい などと心配やわがままな考えが一杯出てきましたが”やってみなければ何も解決しない”と思い自分として最高の寒さの準備を買ったり持ったりして参加しました。 |
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【第1日目】’00.1.4
前日に、「西高A組クラス会」があり、いつもの通り十数名(12)の参加者といつもの「随園」で昨年の自慢と無事を祝い合いながら、今後の計画を話し合い、その後これもいつものように二次会を行いそのまま旭川市駅前のホテルに一泊。 翌日旭川市からの旅行団と共に千歳まで行く。千歳には旅行社の方が来ており、簡単な挨拶の後一度関空ヘ。 関西空港は初めてであり、完成の時などのテレビ放送を見ていたのでかなり興味深くあちこちと時間があったので参加した子供達と歩き回った。それにしても人工島であり、淡路一神戸の大地震の後であったのでかなり心配されたが大した物である。 関空では、海外への出国手続きやカナダドルヘの両替(1カナダドル≒70円)、食事などかなり手間がかかって 18:54やっと出発。外はすっかり暗く、神戸の観覧車や明石大橋の照明が明るく見えました。 19:30にはもう食事(タ食)が出てきたのでワインと共にしっかりと食べて早い夜に向けて少し寝る。(これ以降時間は少し休み)9時間あまりの旅だそうです。 |
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【第2日目・しかしなぜか1/4】
4時間ほどうつらうつらしている内に機内があわただしくなり朝食?顔も洗わず(そういえば前日に歯磨きもしなかった)トイレにも行かずに軽い食事だがあまり食欲無し。外ではせわしなく太陽が昇ってきて翌日らしい。高度11300mー52℃ 勿論関空では雪はなかったが、北海道よりかなり北と思われる(カナダと米国との国境線は確か49度のはず)のに到着したバンクーバー市にはスキー場があるというのに平地には雪は全くなく、遥か彼方の山に少し見えただけだった。 税関や身体検査を終えてバンクーバー市に入る。
バンクーバー市発エドモントン行きの飛行機は途中カルガリーに停まりましたが既にすっかり夜になっており、夜間のナトリウム光が美しく、ここは大きな街で広い街ときれいに区画された町並みが美しかった。
エドモントンから更に乗り継ぎイエローナイフ行きの小さい飛行機に乗って本日最後の旅行につきました。乗客が落ち着き、出発してしばらくしてコックピットの方が騒がしくなりました。そして”前方にオーロラが見えている”という情報が流れてきました。私達はすっかり浮き足立ちましたが、何と乗客(特に日本人)をコックピットに入れて前方に見えるオーロラを見せてくれました。
イエローナイフは思ったより雪が少なく(あまりに寒く、内陸なので水蒸気がない)冬の飛行機のランディングも安心したものでした。空港の中には上からつるした布が、オーロラのようにひだのようになって色が着けられており、ここがオーロラの基地であることが感じられた。サーミスタ付きの温度計を持っている人からの速報一37℃荷物は別の車に載せてきてもらうので我々はすぐにバスに乗り旅館(イエローナイフイン)へ。夜遅くに着いたのですが、希望者にはその日もオーロラ見学がありますので旅館についてすぐ荷物を解き、防寒用具をしっかりとし、カメラを用意し、フィルムを3200に取り替えてレンタルの防寒具屋に行き、頭から足まで一セット借りてバスで50分ほど離れた観測地(マークスキヤビン)へ。
バスに乗ってすぐにあちこちから歓声が上がりました。
部屋に帰ってもその感動の余韻があり、今日行かなかった団長を部屋に呼んで飲みながら感動を知らせ、分かち合っている内に朝になりあわてて寝ました。
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【第3日目】
目が覚めたのはほぼ12時でした(現地時間)。午後から市内見学があるのであわてて昨日残した物をかき込んで準備しました。 ここの街を走っている車で特徴的なことがいくつかありました。 1.へッドライトを昼間でもつけていること 1.観光バスはここにはなく、学校の通学用の物を利用しているとのことで、まだ観光用としてのバスはここまで来ていないようでした。 3.大きな駐車場にはなにやら柱が立っていましたが、ここでは駐車している間に充電をする電気の充電所らしく、よく見ると、全ての車には電線がついており、駐車場におけるコンセントは必置の施設と思われます。 4.座席にはスクレーパーが置いてあり、それで窓をこするのですが、すぐに霜がついて見えなくなります。ここでは乗客の窓を完全に見えるようにするのは至難の業のようです。 5.少し夕方になると殆どの車のエンジンがつけっばなしになっていましたが、ここでは−30℃以下になるとエンジンをかけて置いても良いのだそうです。そういえば前日の観測中のエンジンの音のうるさかったこと。 イエローナイフは北緯62°で世界でも11番に大きいグレートスレーブ湖の湖畔で古生代の岩石の露出しているところにカナダ政府が準州の首都として新しく建設された都市であり、地下には金鉱があり、最近ではダイアモンドも発見されたという新しく発展途上の街なのです。また其の名もかってインディアンが使っていた銅(真鍮?)製の道具から来ているそうで、近くからはアンモナイトも出てきており非常に鉱産資源の豊かなところでまだまだ発展が期待される所です。
この街のオールドタウンは20億年という古い岩石の上に家が建てられている高級地で、新しい街はダウンタウンといわれる平地に整然と立てられているが、大きなビルの中にいろんな家が入って連絡されています。また、州議事堂や市庁舎、博物館などは少し郊外に建てられていました。町中も少し歩きましたが、気温が一29℃と30℃を示していました。日中でも素肌は絶対に出しては歩けません。
今日もバスに乗ったときからオーロラが出ており、期待が大きくなっていた。キャビンについてからすぐ観測と撮影に入ったが今日のオーロラは前日と異なり、動きの激しさも少なく、色も殆ど白一色であり、ややつまらない物であった。そういえばガイドの話でも昨日のオーロラ(ここではオーロラといわずにノーザンライトというのだそうです)は今年最高だったそうで大きな太陽活動(これをバーストというのだそうです)があったのでしょう。オーロラがややつまらないのでここでの星星の観察をしてきました。
昨日、初めてみたオーロラを我が家に伝えようとしたのですが電話がうまくかからず失敗したが、昨日電話した加藤さんから要領を聞いて夜中(日本では10時頃)に電話し、昨日も今日もよく見えたことを話しましたが見えたことに驚いていました。地球の反対側に簡単に話せるのですから世界は狭い。部屋に帰り、いつものように反省をしていると同室の小畑氏が外を覗いて”きれいなオーロラが見える!”というので団長と昨日行かなかった人を呼んで見学する。短時間ではあったがかなり動いており、カーテン状の素晴らしい物であった。
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【第4日目】
夜まで自由時間だったので昼過ぎまでゆっくりと睡眠をとり、午後から同室の小畑氏と共に市内の物産館と博物館を見学をする。 昨日回ったので町の様子は少し知っており、街もあまり大きくないのでノンビリと郷土物産館と博物館や商店、土産物屋を見て食事をしてくる。 郷土物産館はまあまあだったが、プリンスオブウエールズ博物館は名前の通りとはいえないがかなりまとまっており、学術的にも見所がありました。まず、入ってすぐに見られたのが体重500Kgとう巨大な白熊でした。そのほか、先住民の住宅と生活の様子、カリブーやじゃこう牛やいろんな鳥の剥製も迫力がありましたし、いろんな鉱物も興味がありました。 また飛行機のいろんな部品や器具が陳列されている部屋があり子供の科学的興味を引くものでした。中には、専門家が常駐しており、学校などにいろんな資料を提供しているそうでした。更に名前は忘れましたが、画家の作品展覧会も開いていました。 ここに来てで三日目にやっと太陽が見られました。
オーロラツアーも三日目となるとややゆとりがあり”今目こそ良い写真を撮ろう!”との欲もわいてきた。今日はもうバスから外を見ている人もいない。
明日の朝早く荷物を出すというので夜の間に荷物を詰めておく。
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【第5日目】
飛行機の移動はかなり時間がかかります。 まず、乗るにあたり、身体検査と荷物の検査(これは殆ど添乗員がしてくれる)があるので出発時間のかなり前に行かねばなりませんし、出発も天候の様子でかなり変わります。それより、乗り換えがあるときには本当に待ち時間があります。そんなわけで、5:30にモーニングコールで荷物を出し、6:00朝方ホテルを出てバスで空港に行き、オーロラと人形の形をした石積みのイヌックシュ(石の人)があるイエローナイフ空港をを出発し、エドモントンで乗り換え、石油とガスとオリンピックの街:カルガリーにつく。ここから更にバスでルートl号を110kmでl時間半ほど走り、バンフに着いたのは午後遅くでした。さすが石油の街、街中の石油の値段は57セント/l(40円くらい)と日本の半分以下でした。 途中にいろんな物が見られました。
バンフは観光地として有名なところで、街も殆どは観光産業で、イエローナイフよりは小さいが華やかな感じがしました。今回の旅行には食事が一つもついていないので常に外食です。観光地なので食事には不足しないが食事の内容が分からず、英語の達者な人に付いていく。中国に行ったときには酒を買うのに苦労したがここでは酒屋やスーパーもあり買い物は楽である。
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【第6日目】
今回の旅行で私が最も楽しみにしていた日である。一日自由行動である。人によってはつりをしたり、市内観光をしたり、へリスキー(居なかったが)をしたり、近くの観光地に行ったりしたが、一番多かったのやはり近くのスキー場へ行く人であった。 この近くには3つのスキー場があります。すぐ近くに一つと、バンフから16Km50Kmほどの所にあるそうです、が私は仲間がサンシャインビレッジに行くというでそれに同調した。 サンシャインビレッジに行くバスは私達の宿(ダイナスティイン)の前に停まります。往復の料全が10カナダドル(約700円)で駐車場まで行きました。 出発が8:45とやや遅かったので、着いたときはかなり大きな駐車場(千台くらい入れるのかな)も殆ど満車でした。何とか1日券を買い(49ドル、約3.500円)40分ほど待って山の上のスキー場行きの世界一長いという(4.3Km)ゴンドラに乗り、2160m地点に着く。ここからリフトに乗り、二つの山ルックアウト(2730m)とスタンディシュ(2398m)をまず征服し(初・中級のみだが)昼食を大きなピザですまし、もう一つの山ゴーツアイ(2806m)に行く。ここは初級者禁止と表示が出ているほどの山でかなり急斜面でしたがここも2回ほど楽しみ、下山コースを下りてきました。 ここのスキー場は、平均に急なコースが多く、岩石がかなり出ていました。また、樹木があるところも平気でスキーやボードをしていました。こちらのスキー場は自分の怪我は自分で責任をとれ・・と言うのらしく、あまりうるさいフェンスなどはありませんでした。特にボードの人は急な崖を乗っていたようです。 夕方、近くにある温泉に行ってきました。情報で水泳パンツが必要と聞いていましたので持っていきましたが、温泉の中に賃しパンツがありましたので特に必要はありません。ここの温泉は、日本と違い、大きな露天風呂に全員が入って暖まるというもので、温泉の効用はあるが、温度も日本より低く、芯から暖まるものではなくやや物足りない感じがしました。しかし、日本人と外国人とが裸の付き合いをしてきました。
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【第7日目】
いよいよ旅行も終わりです。 今日は単なる旅行日となり、今日の夕方(明日の朝早く)美瑛町の我が家に着くはずです。 7:30に荷物を出し、バスでバンフからカルガリーに行きました。まだ暗い中ですがバスは高速道路を110Kmで走りました。今日は日曜なのでバンフに向かう車はたくさん居ましたが、我々のようにカルガリーに向かう車は殆どありませんでした。考えてみるとそんなに早く山脈を越えてくるようなものは居ないのでしょう。 そのうちに丁度正面から太陽が上がりました。太陽をシルエツトとして見えた細くスックと立っている松(名前は分からないが)は非常に美しく感じられた。(そう言えば!スキー場に行く途中の山はこればかりであり、日本にあったら是非植えたいものである) 荷物がカルガリーから千歳まで行くので最後の身体検査やチェツクが行われました。 いやな時ですが、中にはハイジヤックもあり仕方ないのでしょう。バンクーバーで乗り換え13:30発関空行きに乗る。 ここでもハプニングがありました。添乗員は知っていたらしいのですが、バンクーバーから関空に行く使で我々全員が乗れるだけの客席がとれなく2名はバンクーバーで一晩宿泊するというのでした。幸い添乗員とあと一名が残りましたがこの時期かなり混んでいるのですね。 関空へは11時間。長い昼を過ごして体調が悪い。飛行機内ではいつも免税品の販売が行われます。お金が残っていたのでカナダのジヤーキーを全額買う。19:17関空発千歳行きに乗るが、日本語でアナウンス”千歳が吹雪で到着できるかどうか分かりません。到着できなげればここへ引き返しますのでご承知下さい!”今までの旅行が順調だったのでにわかに日本の厳しい現実に戻される。あとで聞くと、この日は朝から全道的に大吹雪で、交通機関は殆ど麻痺、飛行機も殆どが停まっていたというのでした。あとで、それを知っている人から”良く当日に帰れましたね”と冷やかされました。
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【終わりに】
旅行はいつもスリリングです。特に、旅行の計画を立てるときにはどきどきと興奮します。 今回は、何故か(年のせいか)あまりドキドキしなかったようです。待に、今まで今回のように何も準備(言語や場所の下調ベ、服装や買い物などの計画)をしなかったのは初めてであり、近くに中国に行ったせいもあり、かなり旅慣れてきたのかなあとも思うが刺激がないのは淋しい限りである。 私の好きなテレビの番組に「世界遺産」というのがあります。これは、殆どが歴史的な人工的な物ですが、自然現象もかなり多く、非常に楽しみにしております。時刻がやや遅いのでビデオにとってあとで観覧しますがそのいずれもが素晴らしいもので、世界にはまだまだ見たこともない不思議な物があり、旅行はその土地の生活の様子や食べ物も楽しみですが誰もが”美しい。不思議だ”という物はどれもが素晴らしく、今度時間が出来たので意欲とお金の郡合が着けば何回でも海外(国内でも良い)に行ってこようと思っています。まだまだいろんな物を体験したい。 了 |
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